自己紹介【アダルトチルドレン編】
東京で生まれ育った 四人家族の末っ子。
機能不全家族で育ちAC。HSPでもある。高卒後、フリーターになりいろんな業種のアルバイトを経て今は正社員として障害児の通所施設で働いています。
現在は実家を出て一人暮らし。
9年ほど前、元々よくなかった母との関係がさらに悪化していったことで精神的にまいっていた頃、担任をしていた当時5歳の女の子が会うなり私に言いました。
せんせい! しょうらいのゆめ きめたの!!
そうなの?おしえてほしいな
momoせんせいのおかあさんになりたい!
えっ おかあさんになってくれるの??
うん!おかあさんになって せんせいを しあわせにしてあげたい!
せんせいは いまもしあわせだよ?
まだ ぜんぜん たりないよ
もちろん子どもや保護者の前では元気いっぱい頑張っていたつもりだし、
その子も普段から懐いてくれていたので『好き』の表現だったんだと思います。
その時の私は母との確執もあり『見透かされちゃった』って気持ちが強くて、泣きそうになっちゃったんですよね。 その後もふとした時に「先生のことは 私が守ってあげるからね!」と頼もしいことを言ってくれました。
感情がおかしくなって私なんかが子どもと関わったらダメなんじゃないかって思いが強くなっていきました。
年度末で退職したいと当時の園長に家の事情を話した時に
「それ、ネグレクトだよ」と初めて指摘されました。
福祉施設なのでネグレクトも虐待だっていうことはわかってはいました。
かといって裕福ではないけど習い事をさせてくれたり衣食住に困ることもなく、酷い暴力もなかったので虐待と思ったことはありませんでした。
よく言う「うちの家族に限ってそんなことは。。」ってやつですね。
ケースカンファレンスなどで保護者の虐待が疑わしい事例があっても、うちもこんな感じだけどなぁと当たり前に思ったりもしていました。
虐待の否定要素を探すためにたくさんネット検索をしました。否定要素がみつからないどころか、それも!?と勉強不足だったことを思い知りました。
その中でアダルトチルドレンという概念を知り、つじつまが合ったというか、納得しました。
仕事はとてもやりがいがあったし、子どもたちからもらうパワーは他の仕事じゃ得られないとそれまでのバイト経験でわかっていたのですごく悩みましたが、母との関係が修復する見込みもないし一年単位で考えた時に不安しかなかったので退職しました。
いったん福祉関係から離れましたが1,2年でやっぱり障害児と関わる仕事がしたいと思い、放課等デイサービスや入所施設で働きました。
世間は狭いもので、私が障害児施設にいることを知った上司から「戻ってこない?」と連絡を頂いたことがキッカケで夜勤が辛かったこともあり、わりとすぐに戻る決断をしました。
後に職員から嫌がらせをされた時は、なんで戻ってきたんだろう。。と後悔するんですけど、総合的に考えて今の職場じゃなきゃ出逢えなかった子どもたちやご家族にたくさんの温かい言葉を頂いているのでその気持ちに感謝して頑張っていこうと思っています。
もはや職場の話になっていますが、
境遇に関しては思い返すと辛いこともあるので深掘りしないようにしています。
ネグレクトと指摘された要素についても書くにはまだまだ先になるかと思いますが
いつか整理したいと思っています。 実際、今もネグレクトに関しては否定したいです。
これってDV被害者の「優しい時もあるんです」っていうのと一緒なのかな。