穏やかに暮らしたい(仮)

HSP/ACの日常

アダルトチルドレン【家族編】

momo主観の誰の得にもならない駄文ですが、 残しておきたいと思ったので家族紹介もざっくりと作りました

長くなるので最後の【お願い】だけでも読んでいただければ嬉しいです。

目次で飛べます。

 

 

 

家族紹介

普段は温厚、無口。人見知りで近所づきあいも苦手。正義感が強く曲がったことが大嫌い。他人の非常時には真っ先に助けに行くタイプ。  酒を飲むと感情の起伏が激しくなり感情が抑えられず怒鳴ったり暴力化する。曲がったことが大嫌い。他人の非常時には真っ先に助けに行くタイプ。酒を飲むと感情の起伏が激しくなり怒りの感情が抑えられず怒鳴ったり暴力化する。

家族内で唯一社交的な人。職場では世代を問わず慕われている。飲み屋では初対面でも積極的に声をかける。娘としては度が過ぎてお節介と感じることも多々ある。酒は強いが会話が成立しなくなる。家事よりも飲みに行くことが最優先。

長女:4つ年上の姉。優等生タイプ。天才肌ではないが、何事にも努力を怠らない。勉強、運動、資格試験など努力の結果、優秀な成績を収めている。家族や友人関係においては意に反しても空気を読んで従うが、鬱憤が溜まると暴力化する。そうなると誰も手がつけられない。アダルトチルドレンと自覚している。

次女:幼少期から勘が鋭く、たいていのことは感覚で乗り切っている。自他ともに認める変わり者。ネガティブ思考。極度の偏食。アダルトチルドレンと自覚している。得体のしれない生きづらさは解消されることはなく、後に知るHSPが起因しているのではないかと気づく。

 

事前に言いたいことは、私は家族のことが嫌いなわけではありません。

一緒に一日過ごすというのは正直しんどいし、実家に戻る気も今はありません。

ただ、いまでも週1回は顔を出してるし、なにより長生きしてほしいと思っています。

 

【幼少期】

「あんたは橋の下で拾ってきた子だから」「〇〇したら川に捨てるからな」という母の言葉を真に受けて、捨てられないようにいい子にならなきゃと母の顔色を窺いながら怒られないようにしていたのでとっても聞き分けのいい子だったと思います。

 

テレビを見て「大きくなったら歌手になりたい」と言ったら

「誘拐されたらテレビ出れるよ」「殺されたら有名になれるよ」と言われ、

夢を語ることをやめました。

かといって暴力を振るわれるなんてことは一切なく、ご飯もちゃんと作ってくれました。 

 

母は酔っぱらうと涙もろくなり、泣きながら「あんたは可愛いよ」と抱きしめてくれます。

 

父か母どちらかと二人でお風呂に入っていたのですが、

湯船での会話はいつも『離婚したらパパとママどっちと暮らすか』でした。

「パパと住んだら〇〇買ってあげるよ」

「ママと住んだら嫌いなもの食べなくていいよ」

と条件をつけて自分を選ばせようとするところが子どもながらに滑稽だなと思っていました。

私も姉も「離婚しないで」と答えていたので両親は毎晩聞いてきました。

ある日、母が「お姉ちゃんはママを選んだよ」と私に言いました。

おそらく、母は「わたしも!」と言うと思ったのでしょう。

私は「わたしはパパがいい」と答えました。

どちらも好きだったからこそ、選ばれない人を作りたくなかったからです。

 

何年も後に聞かされるのですが、この選択が母が私に興味をなくした原因らしいです。

もうどうしようもないですね。

 

結局選ばせただけで「あんたが小さいから離婚できない」と離婚することはありませんでした。 

 

幼稚園

幼稚園でお友だちのママとパパが笑って話してるのを見て、うちの両親が笑い合ってるのを見たことがないことに気付きました。

 

父と母はいつも怒っている印象で休みの日は姉と二人で図書館で一日過ごしたり、

できるだけ家にいないように頑張りました。

 

父はお酒さえ飲まなければ子煩悩で優しく、公園やプールに連れてってくれたり、

楽しい思い出もいっぱいあります。

 

母は普段、私のことを「あんた」と呼びますが、機嫌がいいと「もも」「ももちゃん」

と名前を呼んでくれることが嬉しかったのを覚えています。

 

両親ともに人柄はいいと思うんだけど、とにかく酒癖が悪く、応援してる野球チームが

負けると怒声罵声が響きます。(野球中継は今でも怖いです)

それに母が腹をたてて言い合いが始まります。

酷いときは物を投げ、壁を殴り、血が流れることもありました。

姉が勇敢にも仲裁に入ると「子どもは黙ってろ」と一蹴。

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姉は私を風呂場に押し込み鍵をかけ、私の耳を塞いで「大丈夫、大丈夫」と

泣きじゃくる私をずっと励ましてくれていました。

 

先に産まれただけで酒乱の両親と妹の面倒をみなきゃいけなかった姉は不憫だと思います。この後姉との仲も悪くなるのですが、今回は触れません

 

【小学生時代】

 

私が歌うと「うるさい、歌うな」

私が笑うと「気持ち悪いから笑うな」

とにかく否定される毎日で、毎晩布団をかぶって泣いてました。

「うるさい泣くな」と怒られないように静かに泣くことを習得しました。

 

母方の親戚の集まりなどで、姉が料理の手伝いをしている時に「私もやりたい」と

申し出ても「あんたは邪魔だ」「手間が増えるだけだから来ないで」と追い出されます。

それなのに親戚からは

姉は手伝いができるいい子

妹は何もやらない気が利かない子

というレッテルを貼られ、率先してお風呂掃除をしても「またアイツはサボってるのか」と陰口を言われ、もう何をしても私はダメなんだなと察しました。

 

この時期、家にいることが苦しくて、東北に住んでいる祖父母の家で暮らしたいと父に話しましたが却下されました

 姉妹差別

私が小6、姉が高1の時

テストで100点をとってこれなら母も喜んでくれると期待して見せたところ、

たまたま姉の70点のテストを見た後だったことで

「お姉ちゃんは高校生で難しいのに70点取れてすごい。あんたは簡単なんだから

満点は当たり前。当たり前のことを自慢するな」と怒られました。

 

さすがに年の差は埋められないし、今できる限りの満点なのに、理不尽だなと初めて母に対して反発心が芽生えた瞬間だったと思います。

姉を褒めて伸ばしたかったんだと思うけど、私も褒めてほしかった。

 

姉が部活で帰りが遅くなると、母は外に飲みに行くようになりました。

私と二人になるのが嫌だったんだと思います。

毎日納豆ご飯、納豆が冷蔵庫にないときはマヨネーズとソースをかけて食べていました。

誕生日には500円玉と「好きなもの買って食べなさい」と書き置きがあり、姉が部活から帰ってくるまで待って姉とコンビニのケーキを買ってお祝いしてもらいました。

 

父は「お前が可愛そうだからロープ買ってママの首を絞めて埋めたい」と恐ろしいことを言うようになりました。

だったら離婚すればいいのに「お前が高校卒業するまでは離婚できない」とまた私のせいです。

当時住んでいたアパートの壁は父が殴って穴があき、それを隠すポスターがたくさん貼ってありました。

 

【中学時代】

100点満点だろうが私が褒められる線がもうないので、できない子になればもっとかまってくれると思った私は中2の中間テストを白紙で出すことを決意しました。

0点と知ったらさすがに心配して励ましてくれると安直に思ったからです。

 

答えがわかるのに書けないのはもどかしかったけど母が心配してくれると考えたら大したことないと思いました。 

 

実際どうなったかというと、母は担任に呼び出され「恥をかかされた」と激怒し、

以後私に話しかけることもなくなり、作戦失敗でした。

私は母の顔色を窺って行動することはもうなく、敵意むき出しになりました。

 

学校では部活の先輩、同級生から無視されるようになり、クラスで私と話す人はいませんでした。

それでも家にいるよりはましだったので強くいられましたがいじめはよくないですね。(これもいつか書きます)

 

【高校時代】

 この頃には母と挨拶すら交わすこともなく、高校の三者面談は母は家にいるにも関わらず父が仕事を抜けて来てくれました。

 母は相変わらず外で飲み、酔っぱらって帰ってきます。

 

 夫婦一緒にいる時間が減ったので口論は減りましたが、父が灰皿を投げたり、机をひっくり返したり。それを片付けるのが私の役目でした。

 

高2で進路について考えるようになり、私は相談できる人がいなかったので、何年かぶりに母に話しかけました。お互い意地を張っているだけで話しかけたら意外と受け入れてくれるんじゃないかと、また安直に思ったからです。

 

結果は

 

私もお姉ちゃんみたいに話がしたい

なんでアンタと話さなきゃいけないの

学校の話とかバイトの話とか聞いてほしい

アンタと話しても楽しくないから嫌だ

 

 

もう母とは無理なんだなと思いました。

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この頃は「お前が成人するまで離婚できない」と言っていました。

【成人】

もう私のせいで離婚できないとは言わせない!という思いで喜ばしく成人したものの、

結局離婚することはありませんでした。

20代半ばまで実家で暮らした姉もついに家を出ることになり、仲が悪くなっていたとはいえ、「先に逃げるようなことしてごめんね」と両親がらみのことでは初めて私の前で泣きました。

 

私も家を出たいと親に言うと「お前が家を出たら離婚する」と

またできもしないことを言う両親。

この頃の話が↓ 

www.momohsp.com

 

 

【現在】

姉とは、幼少期から抱えていた気持ちをお互い吐き出し今は良い関係です。

『母にこんなこと言われなかったら私はもっと明るく生きられた』

とか思うことは多々ありますが、いまさらどうにもならないので考えません。

怒りや負の感情ってすごくエネルギーを使うから、今は距離を置いて自分が穏やかに過ごせることを第一に生活しています。

両親を毒親認定している姉は「両親のような飲み方をしなければいいだけ」とお酒も飲むし、「両親を反面教師にすればいい」と結婚もしています。

私は毒親認定もできずに、お酒も飲まないし結婚もしていません。 (結婚は私自身の問題ですが)

 

これはあくまでmomo家の一部であり、過去の話です。

色んな家庭環境、親の教育方針があると思います。全く同じ考え方の人はいません。

傷つき方も人それぞれです。

暴力だけが虐待ではありません。

毒親と思うこと、縁を切ることを否定しません。どんな選択をしていようと、とても辛い毎日を送ったことに変わりはないと思うからです。

 

【お願い】

もし、身近に様子がおかしいお子さんや虐待が疑わしい家族をみかけたら

いちはやく

『1(いち)(はや)(く)に通報してください。

匿名で大丈夫です。勘違いであっても罪ではありません。

助けを求められない子どもがいるということを知ってください。

地域で子どもを見守れる社会になってほしいと願っています。

 

 

長くなりましたが最後まで読んで頂きありがとうございました!